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鉄っちゃんシネマ大賞、今年度受賞者発表!!

「寝ないで看板描いたこともある」と話す三浦さん。後ろは、以前に手がけた映画看板「バットマン・フォーエバー」=札幌の「みうら工芸」内


*「鉄っちゃんシネマ大賞」は、2004年2月の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2004」で夕張市民が創設した賞です。賞の名称は、同映画祭の創設者で2003年9月に死去した前夕張市長の中田鉄治さんにちなんだものです。

【本年度受賞者】
<大 賞>
長年映画看板製作に携わってきた
三浦 公雄さん(64歳)=みうら工芸社長
札幌市東区北33東6(ヒ011・752・4522)

1942年釧路市生まれ。もともと絵が好きで油絵を趣味で描いていたのが縁で釧路で看板業に就職。20歳の時、映画看板専門の札幌の宮田工芸に入り、技術を習得した。映画産業全盛期に、札幌市内の映画館の看板を多数手がけた。35歳で独立、看板製作の「みうら工芸」を札幌市内に起こした。当初は映画看板は扱わなかったが、腕を見込まれて映画館から仕事が入り、再び映画看板も手がけるようになった。
映画看板でまちを飾る夕張市の「キネマ街道」事業(2000年6月スタート)では、映画祭会場近くに位置する本町商店街にずらりと掲げられた100点近くの看板を全て製作した。商業用の普通の映画看板はせいぜい1カ月くらいしか使わないため紙に水彩で描くが、キネマ街道用の看板は耐久性を考え、トタンにペンキで描くことが必要で、ふだんとは異なる技術が伴う。三浦さんはそうした勝手の違う仕事を見事にやってのけ、映画祭に訪れる観光客らを大いに喜ばせた。キネマ街道は、土地区画整理のため掲示スペースが減り、現在は約40点となっているが、三浦さんは最近も、依頼に応じて新店舗掲示用に以前の作品を描き直しており、夕張との縁は切れない。
最近の映画看板は、三浦さんのような絵筆で描くのではなく、機械出力によるペーパーを継いで看板に張る手法。「昔は『書き屋さん』、今は『張り屋さん』と呼ばれる。もう書き屋の出る幕はないっしょ」と、三浦さんは話す。三浦さんと同様の手書きで映画看板を描ける人は、道内でも数えるほどしかいない。「映画看板はね、大きさによって描くタッチを変えるんだ。例えば、大きいサイズなら高いところにかかって、遠くから見上げるようになるから、粗いタッチで大胆に描いた方がいい。手書きは奥が深いよ。役者の顔に影をつけて表情を出すとか、機械じゃできないこともできた。そんな技術をぼくらは見習いとして苦労して身に付けた」と思い出を語る。
映画看板との付き合いは40年以上。「好きだから続いたんだ。映画の仕事だったら、締め切りでなくても、時間関係なくやってた。夜中の11時、12時まででもね」。出来栄えを真っ先に批評するのは、結婚37年の妻澄子さん(64歳)だ。「一般の主婦、素人の目で感想をいうから、厳しいの。夕張の看板の時だってマチに飾られるんだから、一番に見て『お父さん、ばっちりだあ』『目の色が違うんじゃない?』などといいましたよ」と澄子さん。  鉄っちゃん大賞の受賞を聞いて、三浦さんは「縁あって仕事をさせてもらった夕張だから、いつか何か恩返ししたいと思っていた。キネマ街道の看板は思い出も深く、描かせてもらってうれしかった。それがこんな形で賞をもらうことになり、うれしいというよりも気恥ずかしい」と、23日の授賞式を楽しみにしている。

【2004年 第1回受賞者】
<大 賞>
西崎 春吉さん(にしざき・はるきち、函館市)
余市出身。77歳。道南を中心に、約30年間、映画館の無いまちで公民館などを使った「移動映画館」を開設し、映画上映を続けている。昨年死去した妻の芳子さんと、夫婦2人3脚で行ってきたが、芳子さんに先立たれてからはたった独りでまちを回る。公民館などの会場予約からチラシ配り、もぎりまで全部自前。アーク式映写機など機材一式をワゴン車に積み込み、旅先では車中泊しながらの上映を行う。

<特別賞>
刀根 春雄さん(とね・はるお、夕張市)
 栗沢町出身。74歳。炭鉱全盛時代の夕張で、炭鉱で働きながら大衆演劇の「やよい劇団」で活躍。ゆうばり国際映画祭が1990年に創設されると、初回から毎回欠かさず三度笠姿でゲストや観光客を出迎えている。「映画祭の名物男」として、記念写真などに引っ張りだこだ。
  
【2005年 第2回受賞者】
<大 賞>
個人映画館「大黒座」(浦河町)
 1918年創業。映画産業冬の時代を情熱で乗り切った3代目館主・三上政義さん(2004年7月、80歳で死去)の跡を継ぎ、現在は4代目の雅弘さん(53歳)夫婦が営業を続ける。小さなまちの赤字映画館の話として、名取裕子さん、佐藤浩一さん出演の映画「結婚」の映画になり、ロケが行われたこともある。人口1万6000人余りのまちで、クリーニング店で生活費を稼ぎ、映画上映を続ける。1994年に新しく建て替えられ、地域のイベントも開かれるなど「まちの宝」となっている。